墓石を建てる意味

お墓を建てるために、何故石を使うのかには意味があります。

およそ西暦300年前後は「古墳時代」と言われています。これは、古代の大王,大王妃の陵墓とされる近畿地方の大形古墳こそが、最初にできた前方後円墳と言われます。前方後円墳の出願こそが、大和政権の始まり、とも言われています。「前方後円」の名は、江戸時代後期の学者の蒲生君平先生が、著書であります『山陵志』に書かれる言葉に始まっていると言われています。前方後円墳は、全国で約4600基くらいであります。これは、相当の数であると思われますが、実は「古墳」全体の中では2%にも満たないそうで、「古墳」全体は約25万基ほどあるそうです。しかしながら、前方後円墳は古墳のなかでも教科書に載るくらい歴史的価値の強いものとなったわけです。

前方後円墳は、四角の方墳と丸の円墳でできた大和朝廷の墓とされています。円墳部分に遺体が安置され、方墳部分で祭祀をしたらしいです。また、円墳は「天」、方墳は「地」を表すと言われています。

また初期は石室は墳頂に掘られたそうです。これは、「竪穴式石室」と呼ばれ、族長の霊魂をできるだけ祖霊のいる天空に近つけるといういわれがあったそうです。しかし、やがて「横穴式石室」と言われる竪穴式石室墳丘の上から穴を掘り、その中に棺を入れるという方式に変わりました。そして、追葬が可能になりました。このように、前方後円墳の時代より死者は石に関わっていました。

その後、古事記の時代。天岩(石)戸神話にも石というのは関わりの深いものになりました。昔、神代の時代のことです。太陽の神、天照大御神様や弟の須佐之男命様など多くの神々様が暮らしていたわけです。弟の須佐之男命様は大変な暴れん坊者で、天照大御神様はお怒りになり天岩(石)戸と言われる洞窟へお入りになってしまいました。太陽の神様がお隠れになりましたから当然世の中は真っ暗になってしまいました。そして、食べ物が育たなくなり、病気になったり、恐ろしいこと、悲しいことが次々に起こりました。困り果てた神々たちが天岩(石)戸の前に集まって、「天照大御神に岩(石)屋から御出でになっていただくにはどうしたらよいだろう。」と相談をしました。すると、(今の戸隠神社の中社にお祀りされています)天八意思兼命様が良い案を思いつきました。それは、「私たちが、天照大御神様がいなくなり、困っていることを悟られないよう、岩(石)戸の前で歌ったり踊ったりして楽しそうにしましょう。」「そうすれば、天照大御神様が、あの者たちはいったい何をしているのだろうと顔をのぞかせるにちがいない。」と。

そして神々たちが楽しそうに賑やかにすると、岩(石)戸の中の天照大御神様が何事が起きたのだろうと、そっと岩(石)戸の隙間から外をご覧になったそうで。その時、岩(石)戸のかげで待ち構えていました天手力雄命様が岩(石)戸に手をかけ、一気に渾身の力を込めて岩(石)戸を開けてしまわれ、天照大御神様をお出しになったそうです。すると、世の中が再び明るくなり、よい世に戻ったそうです。天手力雄命様は、また天照大御神様が岩(石)戸にお入りになっては大変だと思われ、岩(石)戸を持ち上げ下界に投げ捨てられました。岩(石)戸は宙を飛びだいだい日本の真ん中に落ちたとされています。そこが戸隠神社と言われています。

ところで、栃木県の古墳について少しお話します。栃木の古墳は、数千基と言われております。1番大きい古墳は全長134m程の吾妻古墳と言われます。吾妻古墳は6世紀頃造られたものですが、県北の大田原市や那珂川町では4世紀頃に造られています。4世紀頃は、方墳・前方後円墳。5世紀、6世紀頃は前方後円墳・円墳。7世紀頃は円墳・方墳となり、古墳造りが終わりを告げてきました。栃木の古墳の中には「下野型古墳」と言われる、他の地域には見られない珍しい形の古墳もあるのです。特徴は、墳丘の1段目の幅がかなり広くなっております。そして、石室が後円部ではなく前方部にあり、石室に大谷石など、大型の石を使っていることが特徴です。

このように栃木でも石というのは、私たちには馴染みの深いものです。ですから、死者を葬るためのしるしに石を置いたのです。時代とともにお墓と言われ、石を使いました。何故石にしたのかは、『釜の蓋』のいわれがわかりやすいものの1つです。

8月1日に炭酸まんじゅうを食べる風習があります。これは、栃木県北部の方に伝えられる風習です。栃木県北部のお盆はほとんどが8月13日から16日とされており、8月1日は「地獄の釜の蓋が開く日」とされております。お盆の13日までは、地獄からの道のりが遠いのです。そのため、ご先祖様がお盆の13日に間に合うように8月1日に地獄を出る、ということです。その時の様子が「ご先祖様が釜の蓋から飛び出す。」といわれます。

ですから、ご先祖様を迎えるために、8月1日に釜の蓋が開くことを嬉しいこととし、炭酸まんじゅうを作り、笹のはに載せてお供えをし、そのあとでみんなで食べるというのが風習となっています。

お盆やお彼岸にご先祖様を迎えるわけですが、それ以外はご先祖様がお墓の中から出てこないようにと重い石でお墓に蓋をしてあるのです。そして、命日などにお墓参りをして先だったご先祖様に皆さんは近況を報告されていることでしょう。お墓だけがご先祖様との接点の場所とされたわけで、長持ちをする、重い石で造られたのです。以上のようにお墓とは昔から石で造られてきた理由がお分かり頂けますでしょう。

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